「藪入り」という言葉を聞いて、何を思い浮かびますか?
私は、小さいころに聞いた落語で「藪入り」というお話が思い浮かびます。
確か、私が聞いたのは、長らく笑点の司会をされていた5代目三遊亭円楽師匠のお話でした。
「藪入り」なんて言葉は、最近めっきり使うことも、聞くこともなかったのですっかり忘れていましたが、1月の季語を探している時にふと目に留まったんです。
「あぁ、なんだか懐かしいな」と、思ったのですが、「はて、これはどんな意味だったかしら?」と記憶を探っても上手くでてきてくれません。
気になったので調べてみたのですが、「藪入り」の意味を調べている途中から涙がポロポロと零れ落ちて、作業を中断するしかなくなってしまいました。
子供のころに聞いた落語の「藪入り」のイメージはただ面白いお話だったのに、大人になって自分の子供を持つ身になって聞き直しましたら、それはとても感動するお話でした。
もちろん面白く楽しいお話だったのです。
でも、一人でイヤホンを使って落語を聞いていたんですけど、笑いながら何度も涙をこらえて、挙句に号泣してしまう始末で、なんとも恥ずかしかったです。
そこで今回は
- 藪入りの日数や期間
- 「藪入り」の意味や語源
- 私が号泣した落語「藪入り」のあらすじ
など、まとめてみましたのでご覧ください。
藪入りの日数や期間
藪入りの期間は、旧暦の1月16日と、旧暦の7月16日です。
- 旧暦1月16日は、旧暦1月15日(小正月)の一日後
- 旧暦7月16日は、旧暦7月15日(お盆)の一日後
つまり、奉公先できちんと行事を済ませてから、実家に帰る事が許されたというわけなんですね。
ところで、普通に「藪入り」と言えば、1月のものを指し、7月のものは「後(のち)の藪入り」と言ったりもするのですよ。
この2つの休日は、丁稚やお嫁さんにとってはとても大切で特別な日だったに違いありません。
「藪入り」の意味
辞書で「藪入り」の言葉を調べると、こう説明されています。
やぶ‐いり【×藪入り】 の意味
正月と盆の16日前後に奉公人が主人から休暇をもらって、親もとなどに帰ること。また、その時期。特に正月のものをいい、盆のものは「後(のち)の藪入り」ともいう。
宿入り。宿さがり。宿おり。
引用:goo辞書
その昔、奉公人の休日のことを「藪入り」と呼んでいたんですね。
具体的には以下のようなケースの休みを指します。
- 商人の家に奉公させられていた子供が親元に帰る
- お嫁に行った先からお嫁さんが実家へ帰る
好きなときに好きなだけ帰って良い訳ではなく、年に2回だけ
- 丁稚(でっち)/お嫁さんは一日のみ
- 女中は3日
実家(親元)に帰ることが許されたそうです。
10歳前後の子供が休みなしで働かされるんですよ。
そして、お休みは年2回の2日だけ・・・。
もう、すでにかわいそうなお話ですよね。
ちなみに「丁稚(でっち)」とは、商家などに住み込みで年季奉公する10歳前後の子供のことを言います。
藪入りの由来と語源の秘密
藪入りは江戸時代に都会の商家を中心に広がりをみせた習慣のことでした。
しかし、もともとは、嫁ぎ先に嫁いだお嫁さんが「実家に帰省する日」のことを藪入りと言っていたのが、奉公人にも習慣として適用されたと考えられています。
それにしても「藪入り」という言葉、楽しい日の呼び名にしてはなんだか地味に感じませんか?
どんな語源があるのでしょうか。気になりますね。
しかし、藪入りと呼ぶようになった語源は諸説あるようで、はっきりとは分かっていません。
そんな「藪入り」の語源として諸説ある中で、有力な説をいくつかご説明しますね。
藪の深い田舎に帰るからという説
都会から見て田舎をちょっと小馬鹿にしたような表現。
田舎のことを「草木が生い茂った藪」のように見立てた言い回しのようです。
主人が田舎をそう比喩したのか、奉公人が卑下して表現したのかが気になるところです。
「宿入り」が訛って「藪入り」となった説
単純に実家に帰ることを「宿入り」・「宿下がり」などと言っていたのが、訛ってしまって何故か「藪入り」と呼ぶようになったという説。
でも、どうなんでしょうね、私はこの説は少し薄い気がします。
「宿」が「藪」になった理由が他にあるような気がしませんか?
父を養う為に実家に戻ることから「養父(やぶ)入り」という説
幼い子供が親元を離れて働き、頂いた賃金で父を養うために実家に帰るところから「養父入り」になった説。
なんとも、悲しい響きです・・・。闇が深い言葉に聞こえてきました。
現代では考えにくいことですが、昔では当たり前に口減らしや子供を奉公させて生活を維持させたりしてきたのですから、この説はあながち本命な気もします。
昔という時代を生きる厳しさを感じる言葉ですね。
しかし、もともとは嫁いだ嫁が実家に帰省することを「藪入り」と言いましたので、実家にお金を渡すために帰ってきたというニュアンスはちょっと違うかもしれません。
かくして「藪入り」の語源とは、いかにもありそうで確実ではない説ばかりという事になりますね。
落語『藪入り』のあらすじとオチ
ここで少し気分を変えて、私が聞いた落語のお話をさせてください。
とても、心温まるお話なんですよ。
耳で聞いたお話なので、細かいところは端折ってしまうかもしれませんが、簡単にあらすじをお話しますね。
●落語『藪入り』
いつの時代も自分の子供は可愛いもので、ついつ甘やかして育ててしまいます。
今の世なら義務教育がありますから学校へ行って色んなことを勉強させますが、昔は10歳前後になると奉公へ行かせて、人としての思いやりや生活力を身に着けるために親元から離れて学びに行かせることがあったようです。
「可愛い子には旅をさせよ」ということなんですね。
長屋に住む一本気で正直者の熊五郎さんも一人息子の「亀」を溺愛していました。
ですがこれじゃいけないということで、色々悩んでよさげな商家にかわいい息子を奉公に出します。
それから月日が3年経ちました。
昔の奉公というものは、最初の藪入りは奉公にでてから3年~5年は帰してもらえなかったんですって。
里心がつくから、というのが理由だそうです。
今日は、今でいう小正月、昔のお正月、1月15日です。
3年ぶりに息子の「亀」が返ってくる前日から、熊五郎さんはウキウキして眠れやしません。
夫の浮つきぶりに妻は少々あきれた様子で相手をしますが、きっと本心は夫と同じように息子が帰ってくるのを楽しみにしていたことでしょう。
ついにその夜は眠ることもできず、息子が帰ってきたらごちそうを用意する算段や、一日かけて回り切れないような遊びスポット巡りをするスケジュールを組んだりして、挙句の果てには寝るのをあきらめて、熊五郎さんは朝の5時から普段やった事もないような玄関回りの掃除を始めたりします。
まだかまだかと責め立てて妻にいなされながら、息子が返ってくるのを待ちわびていると、家の戸を叩く音が聞こえ、熊五郎さんが扉を開けました。
「めっきりお寒くなりましたが、お身体お変わりありませんか?ご無沙汰しておりました。」
やけに大人びた息子がきちんと挨拶をしてみせます。
熊五郎さんは、あたふたとして涙ぐみながらも「今日はご遠方の所をご苦労様で」なんて、他人行儀でとんちんかんな返事をしてしまいます。
息子がやけにしっかりしているのを頼もしく思って、感無量といった感じなんですね。
息子は3年間一度も泣き言を言わずにしっかりとお勤めをしました。
父親の熊五郎が病気になったという知らせを聞いても、他の丁稚さんも我慢しているのに自分だけが家に帰ることはいけないと思い、父親宛てに手紙を書いて我慢します。
手紙を受け取った熊五郎さんは、それを宝物や万能薬のように扱って大切にしているのでした。
そして、藪入りしてきた息子をねぎらい、銭湯に行かせてやります。
その間に奥さんが荷物の整理してやっていると、ふと、息子の財布に目が留まります。
その様子を見ていた熊五郎さんが妻をいさめようとしますが、奥さんが不安げな表情で身分に合わないお金が入ってると言うのです。
5円札が小さく折りたたんで三枚も入っていました。
奉公先のご主人が持たせてくれた小遣いにしても多すぎる額です。
盗みでもしたんじゃないかと心配する奥さんの言葉に、カッと頭に血が上った熊五郎さんは、湯からもどった息子にいきなり問い詰めて、口答えをした息子を有無を言わさず叩いてしまいます。
泣いてる息子をなだめながら、奥さんがわけを聞くと、東京ではペストが流行り、ネズミを捕まえると交番でお金がもらえたそうでした。
それに懸賞金が付いていて、どうやら当たったらしいのです。
大金を子供が持っていては良くないというので、奉公先のご主人さんがそれを預かり、藪入りの時に親に渡しなさいとくれたものだと息子は説明しました。
熊五郎さんは一気に怒りも冷め、気恥ずかしくなりつつ、立派な息子の行いに感心しながら一言いいます。
「こりゃ、うまいことやりやがったな。これからもご主人さんを大切にするんだよ、これもやっぱりチュウ(忠心の意味)のおかげだ」
と、下げて落語はおしまいです。
というわけで、この落語のオチは
- ペストの流行でネズミを捕まえるとお金がもらえる
- ご主人に忠心を尽くす
この2つを掛けたわけですね。
おっちょこちょいのお父さんの子供を想う親心のお話なんですが、私が子供のころに聞いた時は面白い話としか感じなかったんです。
今聞き直してみると、子供がしっかり成長を見せてくれたことに安堵する熊五郎の様子にとても共感できて、涙が止まらなくなってしまいました。
まとめ
労働条件が改善されて、日曜日が休日となると、藪入りという習慣はすたれました。
今でも名残として残っているのが、お正月休みと盆休みに田舎や実家に帰省するという事ですね。
豊かな現代に生まれて本当に良かったと思います。
自分の子を奉公に出して、会えるのは3年に2日のみなんて、私には耐えられそうもありません。
こんな町並みの江戸時代の頃はそれが普通だったんですね・・・・・
藪入りと言う言葉を調べていて出会った俳句がこれまたホロリとさせるものだったので、最後にご紹介させてくださいね。
「藪入の夢や小豆のにえる中」:与謝蕪村
「奉公からやっと解放されて帰ってきた子供がうたた寝できたのは、お母さんが子供のためにと小豆を煮ている間だけ」
1日だけの休日で、ほんの少しの時間だけれど、お母さんが自分のために作ってくれている料理の音や匂いを感じて、どれだけ子供は安心できたことでしょうね。
「母と寝て母を夢みる薮入かな」:松瀬青々
「やっと奉公先から帰ってこれて親元で眠れたのに、そこで見た夢はやはり恋しい母の姿」
親元を離れて慣れない場所でお仕事をしてきた子供が、どれだけ母親を恋しいと思っていたことでしょう。
口には寂しいとも辛いとも言わない子供の心の内が滲みでている俳句ですよね。
期せずして、ふたつとも「藪入りに見た夢」と「母のこと」を歌った俳句でしたが、落語の「藪入り」では、父親が大活躍でしたね。
この機会に、ぜひ落語の「藪入り」も聞いてほしいです。
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